Tシャツは、元々はアメリカ海軍兵のための下着として誕生しました。しかし、いつしか軍人の間ではアウターとして着用されるようになり、映画などを通し、一般の人々の間にも広まっていきます。
Tシャツ・世界に広がったアメリカ文化
「白の無地Tシャツ」は、1950年代のセクシーな男の象徴と言ってもいいでしょう。マーロン・ブランドやジェームス・ディーンといった俳優たちは「反逆の象徴」的なイメージで、当時の大人たちには不評だったとも聞きます。しかし彼らは若者たちから圧倒的な支持を受け、アウターファッションとして、Tシャツはその地位を確立したのです。
アメリカではその後、プリントTシャツが登場します。それまで下着の延長でしかなかった無地Tシャツにメッセージ性が加わったのです。このメッセージというのは「宣伝」です。1960年代に登場した当初のプリントTシャツは、リゾートの名前を宣伝するものでした。この宣伝媒体としてのTシャツは、現在のアメリカにおいて巨大なビジネスになっています。企業ロゴをプリントしたTシャツや選挙キャンペーンのためのTシャツを見たことのある方も多いのではないでしょうか?
Tシャツは「芸術」とも密接な関係があります。1970年代のヒッピー文化全盛期、多くのアーティストがTシャツを「表現の道具」として使用しました。
音楽の分野では「ロックT」です。70年代から80年代にかけて、パンクやハードロック、プログレなどの音楽が大きな広がりを見せていました。「セックス・ピストルズ」「ローリング・ストーンズ」「ピンク・フロイド」など、刺激、そして独創性に満ちた音楽を奏でるミュージシャン、そしてそのファンの多くが、バンドのTシャツを着用しました。いわゆる「ロックT」には、もちろん宣伝媒体としての働きもありますが、それよりも反体制などの「メッセージ性」を持つものが目立ちました。
日本で一般的にTシャツの存在が認知されるようになったのは、1960年代です。日活映画の全盛時代に「太陽族」が好んで着用しました。Tシャツは、自由奔放な若者たちの象徴として知られるようになったのです。その後、1970年代にはヒッピー文化が流入。反体制の象徴となったのは、アメリカと同様です。
しかし、アメリカのカジュアルファッションが日本に浸透するにつれ、メッセージ性というよりはファッション性が重視された「カジュアルウェアとしてのTシャツ」が日本に浸透していきます。現在では老若男女、多くの日本人がTシャツを着用しています。
日本ではアメリカと違い、Tシャツプリンティングビジネスが巨大ビジネスに成長することはありませんでした。しかし、Tシャツはアメリカ同様、日本でも幅広い役割を背負いながら、多くの人に着用されています。企業のロゴやキャラクターは、広告というメッセージを運んでいます。ヒッピー文化のように社会的なメッセージを運ぶTシャツも、多くのアーティストやファッションブランドがデザインしています。
シンプルな工程で大量生産が可能なシルクスクリーンプリンティングは、日本でももっとも一般的なオリジナルTシャツのプリント手法となっています。
70年代や80年代ならともかく、瞬時に情報が世界を駆け巡る現在、日本のTシャツプリンティングの技術レベルも世界標準にあると思って差し支えありません。コンピュータで画像データを処理し、プリント方法によっては直接Tシャツボディーにプリントすることができます。技術の進歩は、一般の人々にも恩恵を与えました。誰でもかんたんにオリジナルデザインのTシャツを作ることが可能になったのです。
そして、ソーシャルメディア時代の「現象」と言っても過言ではない動きがあります。「クラスTシャツ」など、特定のグループが、主に校内で行われるイベントの際に、そのグループの象徴としてデザインするオリジナルTシャツです。
「クラスTシャツ」は、以下のような目的で作られることが多いようです。
- イベントに向けてクラスの一体感を作り出す
- イベントに向けてクラスの意気込みを表す
- ウケ狙い
文化祭や体育祭という校内の大きなイベントの際に、目的を達成するためにクラスの一体感を作り出すことは大切なことです。また、ライバルに対してクラスの意気込みを表現することは、イベントを盛り上げ、成功につなげます。
しかし、ウケ狙い…これが人気ですね。特にインスタ映えする「クラスTシャツ」を作ることは、多くの高校生にとって、とても重要なことのように見えます。ウケ狙いの形もさまざまですが、グループの人間だけに分かる内輪ネタを使い、一致団結するという使い方もクラスTシャツにはよく見受けられますね。
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